春達因碩
(しゅんたついんせき)
1728年(享保十三)−1784年(天明四)

  常陸国筑波郡の生まれ。父は農業・岡田太郎兵衛。春硯因碩門下。1750年(寛延三)六月、二十三歳で跡目となり、同十一月、林転入とともに御城碁に初出仕、五世安井仙角(春哲)に先番四目勝ち。1782年(天明二)まで三十八局を勤める。1771年(明和八)十二月、春硯因碩の隠居に伴い、家督を許され六世因碩を継ぐ。最終棋格は上手七段、五十七歳で没す。

  六世林門入(門利)とは伯父・甥の関係にあり、従弟の七世門入(転入)とともに井上家に寄宿して修行した。1756年(宝暦六)二十八歳のとき、本因坊察元の七段昇進に絡み、春達が察元と争碁を打ち、黒番二勝二敗、白番一敗と第六局で中絶した。


木石庵