道砂因碩(道砂)
(どうさいんせき、どうさ)
1650年(慶安三)−1696年(元禄九)

  石見国大田郡馬路村の生まれ。本因坊道策の実弟。本名は山崎千松、後に道砂と改名。二世井上因碩。号は休山。

  1673年(延宝元)十二月十八日、井上因碩(古因碩、玄覚)の後式を許され、井上道砂となる。本因坊道悦とライバル関係にあった安井算知が林門入斎とは縁故のない自分の弟子に林家を継がせたことに対抗したものとされる。翌年の三月十八日、井上因碩と改名、御目見得を許される。同年十一月二十四日、安井春知とともに御城碁に初出仕した。

  道策の跡目だった本因坊道的が亡くなって三ヵ月後の1690年(元禄三)八月三日、四歳年長の桑原道節を養子に迎え入れて跡目とする。道策が道的、策元を跡目に据えようとしたときに、後継者は実力で決めるべきだとして争碁を提案するなど、道策にとっては一歳しか違わない道節に手を焼いたために、弟の道砂と相談のうえで井上家を継がせることにしたと言われる。

  1696年(元禄九)六月、四十五歳で没す。対道策


木石庵